大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和55年(オ)1072号 判決

上告人

堀内森

右法定代理人親権者

堀内由美子

右訴訟代理人

河本光平

被上告人

検事総長

安原美穂

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人河本光平の上告理由について

原審が確定したところによれば、(1) 訴外堀内由美子(以下「由美子」という。)と、訴外林邦廣(以下「邦廣」という。)とは、昭和四九年三月中旬から内縁関係にあつたものであるところ、邦廣は昭和五〇年一一月初めに出奔して行方不明となつたが、由美子は、昭和五一年二月一〇日上告人を出産したので、同年二月二三日、自己が保管していた邦廣の署名、捺印のある婚姻届とみずから邦廣名義で作成した上告人の出生届とを京都市左京区役所に提出し、その結果、上告人が戸籍上邦廣と由美子との間の嫡出子として記載された、(2) その後、由美子は、邦廣の親族の了解を得て協議離婚届出をし、更に、上告人につき母の氏を称する旨の届出をしたことにより、上告人は由美子の戸籍に入籍されることとなつた、(3) ところが、昭和五三年一二月初め頃、新潟県警東署からの身許照会により、邦廣が昭和五〇年一一月一日頃に死亡したことが確認されたところから、前記婚姻届、出生届、協議離婚届等上告人に関するすべての届出の無効を理由とした戸籍訂正許可の審判に基づいて戸籍が訂正された結果、上告人と邦廣とは戸籍上父子関係が存在しないこととなつた、(4) 由美子は、上告人の法定代理人として、昭和五四年五月二四日本件訴えを提起した、というのである。

原審は、右事実関係に基づいて、本件訴えは、邦廣の死亡後三年を経過して提起されたもので、民法七八七条但書の出訴期間を徒過した不適法な訴えであるとの理由で、これを却下した。

しかしながら、前記事実関係によれば、邦廣の死亡の事実が由美子らに判明したのは、その死亡の日から既に三年一か月を経過したのちであり、その間、上告人は戸籍上邦廣、由美子夫婦間の嫡出子としての身分を取得していたのであるから、上告人又は由美子が邦廣の死亡の日から三年以内に認知の訴えを提起しなかつたことはやむをえなかつたものということができ、しかも、仮に右認知の訴えを提起したとしてもその目的を達することができなかつたことに帰するところ、このような場合にも、民法七八七条但書所定の出訴期間を徒過したものとしてもはや認知請求を許さないとすることは、認知請求権者に酷に失するものというべきである。右出訴期間を定めた法の目的が身分関係の法的安定と認知請求権者の利益保護との衡量調整にあることに鑑みると、本件の前記事実関係のもとにおいては、他に特段の事情が認められない限り、右出訴期間は、邦廣の死亡が客観的に明らかになつた昭和五三年一二月初め頃から起算することが許されるものと解するのが相当である。そして、本件訴えが昭和五四年五月二四日に提起されたものであることは前記のとおりである。しかるに、原判決が他に特段の事情を認めるべき事実を確定しないで本件訴えにつき出訴期間を徒過した不適法なものとしてこれを却下したのは、同条但書の解釈適用を誤つたものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は結局理由があるから、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、更に審理を尽くす必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(栗本一夫 木下忠良 鹽野宜慶 宮﨑梧一 大橋進)

上告代理人河本光平の上告理由

一、はじめに

原判決は、民法七八七条但書につき、「認知の訴の出訴期間を、父又は母の死亡の日から三年以内と定めているのは、父又は母の死後も長期にわたつて身分関係を不安定な状態におくことによつて身分関係に伴う法的安定性が害されることを避けようとするに」あつて、例外は特別立法以外には認められるべきではないとした上で、上告人主張の諸々の事情があるとしても、本件の場合認知の訴提起が既に右の出訴期間を過ぎているので、右訴は不適法なものとして却下されるべきであるとの判断を下した。

しかしながら、民法七八七条はその体裁より明らかなように一方でまず原則として子の認知請求権を認めるとともに、他方で例外として身分関係に伴う法的安定性の維持を理由にその出訴期間を三年に制限しているのであるから、「法的安定性」という抽象的名分が、個別具体的事案に対して社会的妥当性(=説得力)を有しえない場合には例外規定は排除され、原則規定が適用されなければならない。その意味で、原判決の民法七八七条但書に例外はないとの解釈は、本件の如く「法的安定性」という抽象的名分が個別・具体的事案に対して社会的妥当性(=説得力)を有しない場合においては法令の解釈を誤つたものと云わざるをえない。

又、原判決の云う如く上告人に適法な認知請求が許されないものとすれば、上告人は結局事実上認知請求権を否定されることになるので、原判決は個人の尊厳を定める憲法一三条、法の下の平等を定める憲法一四条にも違背するものと云わざるをえない。

以下、法令違背、憲法違背について述べる。

二、原判決の法令違背

原判決は、民法七八七条但書は「身分関係に伴う法的安定性が害され」ないよう特別立法によつてしか例外は認められないと述べ、本件の場合「被控訴人は邦広の子であると推定され、……被控訴人ないしその法定代理人である由美子が、邦広の死亡の事実を知つたのは、邦広の死亡の日から三年を経過したのちの昭和五三年一二月初めころであつたこと、邦広の父母、兄弟らも被控訴人が邦広の子であることを認め認知を希望していることが」認められるが民法七八七条但書の適用を排除することは許されない旨断じる。

しかしながら、本件の場合民法七八七条但書を適用したところで、謂うところの「身分関係に伴う法的安定性」が果して害されるであろうか。そもそも、上告人と戸籍上ないし事実上身分関係を有する当事者はすべて本件認知を希望しているのである。それ丈でなく、上告人は戸籍上では出生後一貫して邦広の子として記載されていたのであり、その戸籍記載の法的有効性の有無は別として、その記載により邦広と上告人の親子関係は公示されていたのであるから、本件認知を許容したところで、対社会的にも「身分関係に伴う法的安定性」は害されえないのである。

このように、本件の場合上告人と戸籍上ないし事実上身分関係を有する当事者にとつても、一般の第三者にとつても、本件認知訴訟が邦広死亡後三年たつてから提起され、かつ裁判において認容されたところで「身分関係に伴う法的安定性」が害されたと受けとめる者は居ないのであるから、民法七八七条但書の立法趣旨である「身分関係に伴う法的安定性の維持」という抽象的名分は社会的妥当性(=説得力)を有しないものと云うべきことになり、結局本件の場合には例外規定たる民法七八七条但書の適用は排除されるべきとの結論になる。

従つて、原判決は民法七八七条の解釈を誤つており、かつ、この法令違背は判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄を免れない。

三、原判決の憲法違背

二項で述べたように、上告人は邦広の死を民法七八七条但書の出訴期間を徒過後に知つたのであるから、右出訴期間の遵守を求めるのは酷である。それ丈でなく、本件では出生した昭和五一年二月一〇日以降京都家庭裁判所における戸籍訂正審判が確定する昭和五四年五月二二日までの間、上告人と邦広の親子関係は戸籍に記載されていたため、上告人は認知の訴を提起する利益も必要性も有さなかつたのである。換言すれば、その法的有効性の有無は別として戸籍上既に親子関係の記載がなされているのに、上告人に認知の訴の出訴期間の遵守を求めるのは不可能を強いることになるのである。

このように、上告人に民法七八七条但書の出訴期間の遵守を求めることは、酷で不可能を強いる結果となり、結局は上告人の認知請求権を否定することになるのであるから、原判決の判断は上告人に憲法上保障された個人の尊厳(憲法一三条)、法の下の平等(憲法一四条)を求める権利を否定することになり、憲法に違背し、かつこの憲法違背は判決に影響を及ぼすこと明らかであるので破棄を免れない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例